ぶらり深川

深川に行ってきました。

まずは清澄庭園。

この地には元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと伝えられる。享保年間には下総関宿藩主・久世氏の下屋敷となり、ある程度の庭園が築かれたと推定されている。

1878年(明治11年)、荒廃していた邸地を三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取り、三菱社員の慰安と賓客接待を目的とした庭園の造成に着手。1880年(明治13年)に竣工し、深川親睦園と命名された。
中島を持つ広い池が中心にあり、ツツジとサツキの植えられた「つつじ山」や池の端を歩けるように石を配置した「磯渡り」などがある。また、園内には岩崎家が全国から集めたという名石が無数に置かれている。また池には人に慣れた多数のカメがいて、餌をあげたりと楽しめる。


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続いて深川江戸資料館

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町内の資料館レベルと思っていましたが、想像以上の出来でした。
まるで江戸時代にタイムトリップしたかのようです。


続いて特捜博物館。

中は撮影禁止ですが、大勢の人でごった返しています。
こどもからおじさんまで知っているウルトラマンというのは本当に凄いと思います。
しかしリアルに出来ています。さすが世界に誇る特捜。

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つづいては のらくろ館。
ここも撮影禁止・・


漫画「のらくろ」の作者・田河水泡(本名:高見澤仲太郎)は、幼年期から青年期までを江東区で過ごした江東区ゆかりの漫画家です。1998年、ご家族から作品や書斎机などの遺品が江東区に寄贈されました。これを機会に日本の漫画界に大きな足跡を残した田河水泡の業績を紹介し、末永く後世に伝えるため、「田河水泡・のらくろ館」を、彼が生涯愛し、その作品にも大きな影響を及ぼしたこの地に開設しました。


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のらくろ再放送しませんが何故ですかね。
やはり軍国主義とかいろいろ事情があるのでしょうか。


つづいては松尾芭蕉記念館。

芭蕉は、延宝8年(1680)それまでの宗匠生活を捨てて江戸日本橋から深川の草庵に移り住みました。そして、この庵を拠点に新しい俳諧活動を展開し、多くの名句や『おくのほそ道』などの紀行文を残しています。この草庵は、門人から贈られた芭蕉の株が生い茂ったところから「芭蕉庵」と呼ばれ、芭蕉没後、武家屋敷内に取り込まれて保存されましたが、幕末から明治にかけて消失しました。
大正6年(1917)の大津波の後、常盤一丁目から「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、同10年に東京府は、この地を「芭蕉翁古池の跡」と指定しました。江東区は、このゆかりの地に、松尾芭蕉の業績を顕彰するため、昭和56年(1981)4月19日に芭蕉記念館を、平成7年(1995)4月6日に隅田川と小名木川に隣接する地に芭蕉記念館分館を開館しました。
当館は、真鍋儀十翁等が寄贈された芭蕉及び俳文学関係の資料を展示するとともに、文学活動の場を提供しています。

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最初の展示品が「芭蕉の杖」が立てかけてあり、おおお となりましたが
その後が複製品であったり寄せ集め感が漂っており、若干残念。


つづいて、カトレア。
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昭和2年に元祖カレーパンを作り今もその味を提供しています。


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いにしえまいうー。

最後に少し足をのばし浅草の流鏑馬を見てきました。



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狭い隅田公園でやっているので、的のすぐ後ろをクルマが走ってたり、おばあちゃんが歩いてたりします


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