阪神安芸キャンプ訪問 2日目 その1

2日目です。
今日は練習休日なので高知観光を行います。

まずはブレックファスト。
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かつおのたたき食べ放題!
しこたま胃袋へ「たたき」込ませていただきました。
シェフがオムレツを目の前で調理するなど大変ご満悦な食事になりました。

ではお出かけで、まずは桂浜。

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月の名所として名高い桂浜は、龍頭岬と龍王岬の間に弓状に広がる砂浜です。
裏山には浦戸城趾があり、戦国の昔、長宗我部元親の居城として四国統一の中心となったところです。


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海岸は砂ではなく砂利であり「シャリシャリシャリ」という引き波の音がとても趣きがあります。
心も洗われます。



日本を今一度洗濯いたしそうろう、龍馬殿はこの浜をあるきながら考えていたのでしょうか。





とても素晴らしい景観です。
・・・しかし頂上にあのボッコーンと建ってるもの、高知県はなぜ阻止しなかったのでしょうか


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龍馬像。
高知県の青年有志が募金活動を行い,当時の金額にして2万5千円を集め建立。昭和3年5月27日午後2時,除幕式を行い姿を現した龍馬像。和服姿に懐手,ブーツ姿の龍馬は,はるか太平洋の彼方を見つめています。像の高さは5.3m,台座を含めた総高は13.5m。


で、でかい。

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桂浜水族館。
当館は高知の名勝「桂浜」公園の浜辺にあり、70有余年の歴史を活かしたローカル色豊かな水族館です。
説明板は全部手作りでほんわかしています。





死んでるのかと思いましたよ



完全に遊んでいます。知能が高い。





呼び続けたらやっと出てきてくれました。そのあと激しい!
でも気づかないうちにいなくなっていました。
そっけない





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龍馬記念館。
龍馬像のすぐそば、太平洋を見下ろす高台に建つ記念館です。龍馬をはじめとする多数の書簡や海援隊規約、様々な人に宛てた手紙、さらには龍馬愛用の拳銃や暗殺現場に掛けられていた掛け軸などが展示され、龍馬の生涯に接することができます。

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シェイクハンド龍馬。
握手されすぎて手がすり減ってましたw

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近江屋復元室。
実際に龍馬殿が座していたところに座って写真が撮れます。
みんな思わず
「ほたえな!」
と叫んでしまいます。


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エヘンエヘンの手紙。
読んでいると龍馬殿が非常に身近な人物に思えてくるから不思議です。

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桂浜の北側の山一帯が、長宗我部氏が最後の居城とした浦戸城の跡地です。
三方を海に囲まれ地形がけわしく守りに有利な地であったそうです。
山内一豊が高知城を築城するにあたり、浦戸城の石垣などを取り壊して運んだといわれています。浦戸城は石垣の一部と二ノ丸付近に堀切を残すのみです。

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土佐藩の初代藩主山内一豊の銅像は、平成8年(1996年)9月20日、一豊の祥月命日を卜して再建除幕されたものです。本体はブロンズ鍛造青銅色仕上げ、高さ4.32メートル、重さ3.6トン、台座5.08メートル、総高9.4メートルで、騎馬像としては、皇居前の楠木正成像を上回る、国内最大クラスであるといわれております。

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板垣退助は自由民権運動の父とされ、特に「板垣死すとも自由は死せず」の名言は明治時代の一大流行語となりました。この銅像は昭和31年(1956年)5月11日に再建除幕されたもので、題字は当時の内閣総理大臣吉田茂の書。像の高さは2.20m、台座4.205m、全高6.405mです。

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山内一豊の妻の像。
残念ながら名前はよく分かっていません。 千代もしくは松とされます。
馬10両の逸話が有名ですが、石田光成の書状を封を切らずに旦那に届け家康の信頼を得た逸話もあります。

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高知城。
高知市の中心にある典型的な平山城。初代土佐藩主山内一豊とその妻千代が礎を築いた土佐二十四万石の歴史ある城。関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊が,慶長6年(1601年)新城の築城工事を始め整備しました。三層六階の天守閣や追手門などの建物は国の重要文化財となっています。

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追手門と天守閣がいっしょに写っています。全国広しと言えども、追手門と天守閣を1枚の写真に収める事が出来るのは高知城だけだそうです。

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梅園も咲きほころんでいました。あたたかい。

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天守閣まであがってまいりました。
うーん、美しす。


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龍馬誕生地。
高知城下本丁筋1丁目,現在の高知市上町1丁目上町病院前に,誕生地の碑は建っています。高知城のすぐ前です。都会っ子だったのでしょうか。父坂本八平直足,母幸の次男として,1835年天保6年11月15日,この地で誕生した坂本龍馬は,1867年11月15日の奇しくも自らの誕生日に,京都近江屋で凶刃に倒れるまでのわずか33年の生涯にあって,類まれなる行動力と,勝海舟や松平春嶽など素晴らしい出会いを重ねることで,薩長同盟の締結や大政奉還など数々の功績を残し今も根強い人気を誇っています。

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才谷屋は坂本家の本家で、寛文6(1666)年に長岡郡才谷村からこの地に出て質屋を始め、後に酒屋や諸品売買業へと商いを拡大していった。八兵衛守之が最初だ。文禄から享保にかけて驚異的に発展し、播磨屋や櫃屋とならび称され、城下屈指の豪商にまで成長します。
才谷屋はもともと大浜姓を名のっていたが、明和4(1767)年、初代の太郎五郎の墓を建てた時には坂本姓を刻んでいる。この墓は直益が建てたとされるもので、坂本姓は直益の頃と思われるが、改姓の理由や時期を確証するものはない。三代目直益の長男八平直海が、本丁筋一丁目南側に分家したのが明和7(1770)年3月で、その翌年5月新規郷士となり坂本家が始まる。龍馬は直海の曾孫です。
現在、才谷屋の跡を明確にすることはできませんが寛政4年頃の「上町分町家名附牒」によれば、現在の喫茶「さいたにや」の手前から南にかけて広く、南の水路も隔て更に南側までもあったのではと推定されています。当時の 才谷屋の看板とされるものは、高知市民図書館に所蔵されています。

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近藤長次郎は天保9(1838)年3月、水道町3丁目の餅菓子・饅頭屋に生まれました。龍馬とは生家も近く少年時代から親交があったとのこと。17歳で河田小龍の門下となり、文久2年には、勝海舟のもとに入門しました。文久3年に結婚するが、新婚生活の借家も龍馬の世話であったという。長州藩の外国船砲撃事件の調停など常に龍馬や勝と行動を共にし、勝が失脚して後も亀山社中周旋役として、長州のために英商人グラバーから小銃を買い付け、ユニオン号購入にも尽力し成功しました。


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龍馬生まれたまち記念館。
龍馬が生まれ育った高知市上町の歴史と文化を中心に龍馬の生涯に迫る記念館。誕生から脱藩までの様々なシーンを追体験できるコーナーや昔の上町の街並みを再現したジオラマ、龍馬の家族にスポットを当てた「ある日の坂本家」という映像作品などが展示されています。

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龍馬殿と肩を組んで激写できます。
みけんにしわがよっているので凄く迷惑がられた仕上がりになります

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龍馬郵便局は,平成11年に局名を改称し,全国で唯一の実在した人物の名前がついた郵便局となりました。龍馬の生まれ育ったまちにあるこの郵便局には,全国から龍馬ファンが訪れています。龍馬郵便局の窓口で依頼すると,龍馬の姿が描かれた風景印を押してもらうことができます。


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旧山内家下屋敷長屋展示館
国指定重要文化財建造物 16代藩主・山内豊範により慶応元(1665)年完成。幕主に元藩主・山内容堂が下屋敷としたものの一部です。桁行十七間半、染問二間半の二階建。下屋敷で警固番を勤めた足軽の詰所であったとみられます。近世の長屋建築で、これだけの規模を持つものは少なく、全国的にみても貴重です。

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山内神社。
明治4年最後の藩主となった山内豊範公が祖霊を祀るため、藤並神社の御旅所(現在地)に社殿を造営。3代・忠豊公から14代・豊惇公の霊を祀りました。 昭和7年15代・豊信公、16代・豊範公を祀る神社を新たに建立。

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山内神社にある大政奉還を慶ぶ山内容堂像。
酒豪で知られる山内容堂、右手には盃を持っています。


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