みたま祭

皇居と靖国神社に行ってきました。

画像

桜田門駅からスタートします。

画像

真上は警視庁が聳え立ちます。桜田門たる所以です。
画像

国会議事堂も顔をのぞかせます。周りのビルに埋もれていますが・・

画像

桜田門。
この桜田門の桝形は15間×21間あり、現存している城門の中では最も広い規模を有し、「桝形城門」の形態が良保存されているため、昭和36年6月、国の重要文化財に指定されています。

画像

石垣。美しいです。

画像

都心でこの広さ。東京ドーム5個分です。

画像

二重橋。


「二重橋」は一般にこの二つの橋を総称して言われていますが、厳密には奥の橋を指します。   奥の橋はかつて、「下乗橋」と言われ、橋桁を支えるため、中途に台があって二重構造となっていたことからこの名がつきました。現在の橋は、昭和39年6月に架け替えられたものです。   これらの橋は、通常は使用されず、新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等宮中の公式行事の際に利用されます。

画像

正面は東京駅です。

画像

噴水公園。

画像


画像

入園は無料ですが入園票を受け取り退園時は返却します。
入園者をカウントしやすいように? それとも閉園後も潜む輩を防ぐため?

画像

皇居内はだだっぴろい道が続きます。整備も完璧でチリ一つ落ちていません。

画像


画像

江戸城天守台です。

画像


 江戸城の天守閣は五層51m日本最大の規模で1607(慶長12)に完成しました。
 しかし、1657(明暦 3)1月江戸の6割を焼く尽くした振袖(ふりそで)の火事で本丸・二の丸・三の丸などとともに焼失し、再建される事はありませんでした。
 振袖の火事で炎上している江戸城を江戸時代の絵で見ると、門は堅く閉ざされ、火消し道具を持った町人は濠端(ほりばた)に集まって眺めているだけです。炎は濠端の塀までおよび、奥女中や武士は塀越しにお濠に飛び込んで重なり合っています。何があろうと城門は開かないということです。まだ若い将軍家綱(いえつな)(1641~1680)も二の丸に避難しただけで、威信のため城外への避難は許されなかったそうです。


江戸城再建の話もあるようですが期待したいところです。


画像

松の廊下跡。ここにあったとは知りませんでした。
赤穂藩主浅野内匠頭[あこうはんしゅあさのたくみのかみ]が吉良上野介[きらこうずけのすけ]に切りつけたのが松の廊下。

ここをきたとき、ゲリラ豪雨が。
なにか怒りに触れたのでしょうか?
画像

みんなで雨宿り。 雨宿りというより避難です。
2時間以上バケツがひっくり返ってました。

画像

皇居をあとにします。


画像

武道館を横目に

画像

千鳥ヶ淵。


画像


画像


画像

靖国神社。

画像


みたま祭。
日本古来の盆行事に因み昭和22年に始まった「みたままつり」は、今日、東京の夏の風物詩として親しまれ、毎年30万人の参拝者で賑わいます。
期間中、境内には大小3万を超える提灯や、各界名士の揮毫による懸雪洞が掲げられて九段の夜空を美しく彩り、本殿では毎夜、英霊をお慰めする祭儀が執り行われます。
また、みこし振りや青森ねぶた、特別献華展、各種芸能などの奉納行事が繰り広げられるほか、光に包まれた参道で催される都内で一番早い盆踊りや、軒を連ねる夜店の光景は、昔懐かしい縁日の風情を今に伝えています。

画像


先ほどのゲリラ豪雨でこんな惨状に・・・



画像



画像



画像



ほとんどが若者でした。

この神社はいろいろな意味で神経質にならざるえないところですが
彼らはどういう気持ちでやってきたのか訊いてみたいところです。

画像


画像



画像



画像


画像



画像


画像


画像


画像


画像


画像





ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

面白い

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック