ぶらり東鎌倉

また鎌倉に行ってきました。

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http://1985443116.at.webry.info/201307/article_2.html

鎌倉は上記の様に、しこたま行きたおしてますが、結局まだ行きたおせていないようです
本当に鎌倉は神社仏閣、大仏、江ノ電、海、山、川、食べ物と楽しみが尽きません。
なぜ、世界遺産で落選したか理解できません

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ということで鎌倉駅からスタートです。


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小町通りの人込みは今日も原宿なみです。

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鎌倉の銘菓、鳩サブレ~。


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鶴岡八幡宮。
ちょうど「鶴岡厄除大祭」が行われていました。
特に厄年の方が祈願し加護を戴くという祭事です。
初日の午前9時より、舞殿で「厄除大祭」が執行され、その後随時「厄除大祈祷」が行われます。
「厄除大祈祷」では、神職による祝詞の奏上、巫女による神楽舞の奉納が行われた後、炉にくべられた「厄難札」が焼かれます。

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もう梅が咲き始めていました。

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来迎寺。
来迎寺は、鎌倉の材木座と西御門(にしみかど)の2つにあります。材木座の来迎寺はもと、源頼朝が1194年(建久5)に源頼朝旗揚げの時に頼朝に加勢して平家方の軍勢と闘い、89歳で戦死した三浦半島の衣笠城主・三浦大介義明の冥福を祈って建てた真言宗・能蔵寺(のうぞうじ)という寺があったといわれている場所でしたが、開山の音阿が時宗に帰依(きえ:神仏や高僧などのすぐれた者を信じ,それによりすがること)したため、改宗して、寺の名前も来迎寺と改められました。
本堂には本尊である阿弥陀三尊像と、子育て観音といわれる聖観音(しょうかんのん)がまつられています。

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八雲神社

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源頼朝墓。
建久9年12月27日源頼朝は,御家人の稲毛重成の亡妻の供養のために,相模川にかけた橋の完成祝いに出掛け、その帰り稲村ガ崎で落馬した。その落馬が原因で,翌年の建久10年1月13日に53歳で亡くなった。大倉法華堂(現在の白旗神社)に葬むられた。現在の墓は白旗神社のすぐ横の階段を登った所にあり、江戸時代に島津氏によって建てられたもので、高さ186cmの五層の石塔です。

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荏柄天神社
荏柄天神社は、源頼朝が鎌倉に入るより前からある古い神社で、1104年(長治元年)の創建と伝わります。
荏柄山天満宮とも称され、幕府の鬼門の守護神でもありました。
京都の「北野天満宮」、福岡の「太宰府天満宮」とともに日本三天神の一つに数えられています。
1590年、小田原北条氏を攻め、関東を統一した豊臣秀吉も参拝し、徳川家康に命じて社殿の造営を命じたといいます。
本殿は、鶴岡八幡宮造営の余った木材で修理を繰り返し、鎌倉最古の木造建築として残されています。


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樹齢900年の大銀杏。
『相模國鎌倉荏柄山天満宮略縁起』(国重文)によれば、1104年8月25日、荏草郷といわれた土地に、にわかにかき曇った天から天神画像が降ってきた。
神験を恐れた里の人々は、その場所に社殿を建て、画像の降り立った地を踏むことのないように銀杏の木を植えて御神木とし、その画像を祀ったとのだといいます。


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「絵筆塚」は、「かっぱ筆塚」を建てた漫画家清水崑の遺志を継いだ同じく漫画家の横山隆一らが建立してもの(平成元年)。
横山隆一をはじめとする漫画家154人によるカッパのレリーフが飾られた筆形の塚です。


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鎌倉宮。
後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王を祭神として、明治2年に 建武の中興に尽くしたものの若くして命を奪われた護良親王の遺志を後世に伝えることを望まれた明治天皇が創建しました。また鎌倉宮は、別名大塔宮と呼ばれています。このあたりは、護良親王が、足利直義に幽閉された東光寺のあった所です。社殿の背後に親王が幽閉されたという土牢があります。

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護良親王の墓。その理智光寺跡の谷にあり、宮内庁が管理しています。急な石段を登った山頂に、石垣で囲まれた中にお墓があります。護良親王は後醍醐天皇の第三皇子です。元弘の変が起きると、後醍醐天皇を援けて吉野、熊野等で鎌倉幕府討幕運動の中心として、活躍しました。鎌倉幕府は滅亡し、護良親王は、元弘三年に、征夷大将軍となり軍勢を率いて入洛しました。その後、足利尊氏との対立を深め、捕らえられ、建武元年に鎌倉に下された。

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瑞泉寺は鎌倉公方(鎌倉府の長)の菩提寺(ぼだいじ)として、鎌倉五山に次ぐ関東十刹(かんとうじゅっさつ)に列せられた格式のある寺院です。山号の錦屏山(きんぺいざん)は、寺を囲む山々の紅葉が錦(にしき)の屏風のように美しいことから名付けられました。また境内は、四季を通して様々な花を楽しむことが出来ます。
山の夢窓国師(むそうこくし)は、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)や足利尊氏(あしかがたかうじ)も深く帰依(きえ)し、鎌倉〜南北朝期に臨済宗(りんざいしゅう)で重きをなした僧です。作庭にも才を発揮し、昭和45年に発掘、復元された仏殿背後の庭園は、夢窓国師の作として、国の名勝に指定されています。


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永福寺跡。
源頼朝は鎌倉に3つの大きな寺院を建立した。一つ目は鶴岡八幡宮、二つ目は勝長寿院、三つ目は永福寺です。現在、残っているのは鶴岡八幡宮だけで後の2つは焼失してしまった。この地は周辺約9万平方メートルは源頼朝が建立した永福寺の跡で、国指定史跡に指定されています。この寺は、源義経や藤原泰衡を初め、奥州合戦の戦没者の慰霊の為に建てられた寺で、文治5年(1189)12月に工事を着手しました。頼朝が奥州・藤原一族を征討した際、平泉中尊寺の二階大堂(大長寿院)のすばらしさに心をうたれ、それを模して建てた永福寺がありました。二階の堂があった為「二階堂」と呼ばれ、付近一帯の地名にもなりました。
それがこのたび復元されるとのこと。
とても楽しみです。

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こうなるそうです。









今回も大変満足なぶらり旅。
また鎌倉いくよ~




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