ぶらり川崎市

川崎市に行ってきました。
「観光」で検索するとヒット数はあまりありません。
川崎というと工場と自然というイメージでしょうか。

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まずは稲毛神社です。第二十九代欽明天皇の代に武甕槌神を祭神として鎮座、平安時代末期に当地を領した河崎冠者基家が山王権現を勧請して以後、「河崎山王社」「堀之内山王権現」「五社山王」「三社宮」と改称したと伝えられます。江戸時代には「山王社」として社領20石の御朱印状を拝領、川崎宿および河崎七ヶ村の鎮守として崇敬を集めていました。明治維新の神仏分離令により「川崎大神稲毛神社」へ、さらに「稲毛神社」と改称しました。

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立派な銀杏神木です。樹齢1000年。東京大空襲で損失しましたが見事に蘇ったそうです。


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川崎競馬場。


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すぐ横に川崎競輪場。川崎市の税収ツートップといったところでしょうか


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森永工場。だいぶ遠く離れたあたりからでもココアの香りがただよってきます。
しかし近所の住民は毎日嗅がされているとキツイかもしれません。


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大師公園。大型遊具もあり大勢の子供が走り回っています。

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瀋秀園(しんしゅうえん)です。昭和62年(1987年)に瀋陽市と川崎市との友好都市提携5周年を記念し、瀋陽市から贈られた中国庭園です。

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なかなか迫力があります。





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そして川崎と言えば川崎大師。
今から880余年前の大治3年(1128)に平間兼乗という武士と高野山の尊賢上人が力を合わせて建立されたものが、現在の川崎大師です。真言宗智山派のお寺で、成田山新勝寺、高尾山薬王院とともに智山派「関東三山を形成しています。ご本尊は兼乗が夢告により大師の沖の海中より発見した「弘法大師」像です。このお像は、弘法大師(空海)が唐(中国)に在りしころ、皆が幸せになるようにと願いを込めて彫られたものと云われています。



川崎大師の参道といえばこの飴を切る音。
ただ歩いているだけで、ッタカッタカ、ッタンタアン、というリズムが耳についてしまいます。
お店の人はもう風呂入る時もフトンに入る時もこのリズムが頭の中を駆け巡っているのでは

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すると「護摩行を行います」というアナウンスが聞こえてきました。行列の後ろにくっつき
本堂に入れていただきました。
お護摩とは、梵語でホーマ(homa)といい、〈焚く〉〈焼く〉などの意味をもつことばで、仏の智慧の火を以て煩悩(苦の根元)を焼きつくすことを表します。

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すごい迫力でした。
てゆーか、メラメラ火の粉が天井までのぼって行くのですが、木造の本堂に燃え移る危険性が・・
消防法的に大丈夫なのでしょうか



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新井さんの護摩行は顔中ヤケドを負いながら死に物狂い的でしたが、今日のお坊さんは
涼しい顔で行われていました。修行量の違いでしょうか?



川崎港海底トンネル。


まずは千鳥公園。猫の天国です。ここ以外にも何十匹もいました。



この建物がトンネル入り口。
僻地にあり誰も使用していないので無機質なおどろおどろしい場所です。
近未来を舞台にした映画の世界に入っていくようです。



距離は1km。海の底なので当然障害物はありませんので、ひたすら直線です。
こ、こわい 治安大国の日本だから存在しえるトンネルです。
蛍光灯が一本も切れていないのも日本の行政管理らしくて良いです。
てゆーか、海水の重さにつぶれないトンネル技術の日本は凄い






無事出口までたどり着きました。
ブルースウィルスが歩いていたら後ろから海水が漏れて襲ってくるのは間違いないかと。
「おおい、なんで俺はこんなにツイてないんだい!」
と愚痴を言いながら横の壁を破壊して自ら海の中に潜っていくでしょう


この海のこの船の下を歩いてきました。こうみると改めて凄い


利用者はぜっ・・・んぜんいませんが、壁を硬質ガラスに変えて海中が見られるようにすれば
観光地になると思いますが。。無理ですね。


トンネル出て振り向くと戦艦もいたりします。


ぶらり川崎、なかなか侮れませんでした




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